演じる,違う自分を演じる,幸せな真珠の知恵
相手により無意識に演じわける
友人にはこの役を演じ、上司にはこの役、二度と会わない人にはこの役、というふうに演じることありませんか?
自分の中にしまっている台本の中から、その場面に一番合う台本をを引っ張り出して「ここは怒る場面だから、ここはこの台本で行こう!」なんて感じで・・・
自分の評価は他人の評価で決まるものだと思い込んでいると、自分を評価してくれそうな人に対する態度と、自分の評価にはまったく関係のない人に対する態度とではかなり違ってたりします。
それぞれの場面により、台本を使い分けているような感じですね。
このようなことは、交通事故の現場では顕著に表れますよね。 車同士で事故にならないまでも、危うくぶつかりそうになった時など、「バカヤロー!どこ見てんだ!コノヤロー!」などと気が強ければ窓を開けて平気で言ったりしてます。
上司、友人、同僚などに対しては、今後も付き合っていくわけですから言葉も選んで使います。
友人から「あの時のおまえの言葉で俺は救われたんだ」と後で聞かされ、感謝されることだってあります。
友人などに感謝され、自分は思いやりがある人間だと思ってたりもします。
しかし、見知らぬ他人に対しての言葉はどうでしょう。
もう二度と会わない人に対する言葉、その言葉こそ、実はなにも演じていない本当の言葉かもしれないと思うのです。
見知らぬその人が、私の言葉でどれくらい傷つくか想像すらせずに喋ったりします。
想像もしないので、後で後悔することもないのです。
自分の幸せや、自分の評価が周りの人たちの反応によって決められるものだと思い込んでいると、常に自分以外の人を演じつづけなくちゃいけないんです。
常に周りの反応ばかり気にして、自分以外の人間を演じていると、つい怒りっぽくなったりもします。
精神的な疲れや、理知的な苦しみに心が支配されているとき、私は違う自分を演じていることに気づくのです。
自分の幸せや自分の評価を違った見方でとらえることができれば、意識せずに自然の自分になれるのではないかと思うのです。